即位した太祖・郭威は内政に意を尽くし、刑罰の緩和・自作農の養成・税制の不公平の是正などの政策を行い、相次ぐ戦乱で荒廃した中原の復興を行った。
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この蓄積を元に統一の大望を燃やしたのが、954年に即位した柴栄(世宗)である。世宗は五代の中で随一の名君とされる。
世宗がまず行ったことは、自立性の強い軍人たちを抑えることである。その軍人たちを抑える目的で作っていた侍衛親軍が強大化しすぎていたために一旦これを分割して殿前軍を創設し、これを強化して節度使も禁軍司令官も皇帝に対抗できないようにした。その兵力を元に南唐・後蜀・北漢・遼などを攻め、領土の一部を奪い取った。中でも南唐から奪った土地は塩の産地として極めて重要な地域であり、この地を抑えたことで南唐の生殺与奪権を掌握したと言っても良い。
また軍事費を捻出するために、廃仏運動を行った。中国では「三武一宗の法難」と言われる廃仏運動が行われており、「一宗」が世宗のことである。当時は税金逃れのために非課税の僧侶になるものも多く、これらから徴税することで大きな収入が見込めた。また当時は貨幣を鋳るための銅が不足していたが、仏像などを鋳潰して再利用し、「周元通宝」という銅銭を鋳造した。
統一への道を突き進んでいた世宗だったが、959年に遠征から帰る途上で病死する。